現実的スピリチュアル・ライフのススメ

気温36度は涼しい!?

いや~、今日は本当に暑かったですね!

なんでも、全国的にこの夏一番の暑さだったそうです。
東京は36.4度だったそうで、これってハッキリ言って体温だし。。。。
ゆだりそうですよね。。。

さて、今では36度でブツブツ言っている私ですが、その昔西アフリカにあるマリ共和国というところに住んでいたときは、これどこの騒ぎではありませんでした。
サハラ砂漠のすぐ下っていうか、国土の70%はサハラ砂漠という国ですので、これが暑いなんてもんじゃない。
特に乾季の3月~4月にかけては、連日40度を越す暑さが続きます。

そして、村落開発プロジェクトにいた私には、この暑い季節は仕事の季節。
というのも、乾季なので農作業もできず、村の人に時間があるからなんですね。

ですから、電気も水道もなく、サハラ砂漠からの熱風が吹いてくる村にこもり、ひたすら暑さを耐えることになります。(電気がないから扇風機もないんですよ~~~)
昼間は暑すぎて誰も外にいません(冗談抜きで死んでしまいますっ!)。
ひたすら日陰で水をグビグビ飲んで、日が暮れるのを待つ毎日。
夕方になって少し日差しが楽になってから、現地スタッフたちと村々を回って、いろいろな講習会を開いたりしましたっけ。。。

ある日のこと。
日本から届いたばかりの温度計を持って、炎天下の中スタッフが外に出ました。
すると目盛はグングン上り、ひゃ~~~、(@o@) 42度を超したわ~~~っ!!!と思っているうちに、なんと!壊れてしまいました。。。(^^;)

温度計をも壊す、アフリカの太陽。。。

そんなこんなの激しい日々を過ごし、すっかり暑さにも慣れたある日のこと。
仕事もひと段落ついたので、首都バマコにあるプロジェクト事務所に戻りました。

さすが首都、電気も水道も一応あります。(毎日停電だったけど・・・)
それに、事務所は一軒家で庭があり、木々が茂っているので、なんとなく過ごしやすい感じ。。。

「あ~、今日は何だか暑さも柔らかくて、すっごい楽だな~。
ちょっと涼しいくらいだな~。一体気温は何度だろう?」

ふと部屋の温度計を見て、わが目を疑いました。

気温は、36度。。。

でも、本当に涼しいよ。。。

暑さに慣れるって、凄いことなんですね。。。


 

 

 

恐怖のセレ!体験

昨日ナイジェリアの思い出を書いたのですが、それに関連して、一生忘れられない思い出をぜひ書いてみたいと思います。

ナイジェリアはイスラム教・キリスト教・伝統宗教(アミニズム)が混在する国です。
アフリカ研究家の間では、ブードゥー教発祥の地としても有名です。
そんなナイジェリアには、ブードゥーとキリスト教が混じってできたような、ナイジェリア独特の新興キリスト教があります。

通称「セレ」、Celestial Churchです。

セレの特徴は、まずその衣装。
礼拝の時には全員が真っ白い長袖でくるぶしまである長い衣装をまといます。
さらに学校給食のおばさん達が被るような白い帽子(シャワーキャップみたいな形の)を被るのです。

そして、祈りが激しい。。。
大声で、身体を動かして、全員でスピリチュアルになって祈り続ける姿は圧巻です。

でも、それを単に教えてもらっただけの私の認識は甘かったのです。
実際に礼拝を体験したときの、あの恐ろしさと言ったら。。。(^^;)

それは、今から7年前にロンドンに行ったときのこと。
友人の紹介で、あるナイジェリア人の家に泊めてもらったときの話です。

シングルマザーのAさんと小学4年生位の娘のRちゃんの家は、3LDKの大きなアパート。
とてもフレンドリーなAさんは、お料理上手でもあり、ナイジェリアの伝統料理を沢山用意してくれました。
食事も終わり、夜9時になったとき。
「今から教会に行くんだけど、一緒に行きましょう!」
と言われました。

教会?こんな夜遅くから?

不思議に思う私を無視して、AさんはRちゃんにも支度をさせました。
「Rの父親がね、牧師をしているの。私達は毎晩礼拝に行くのよ」

毎晩??でもRちゃんは朝早くから学校じゃないのかしら??

「Rの父親は、今はアメリカ人女性と同棲しているのよ。とってもハンサムなの!」

牧師がアメリカ人女性と同棲???一体どういう教会なわけ???

私の頭はパニックしてきましたが、半分好奇心も出てきて、一緒に行くことにしました。
それが、セレの教会だったのです。
教会というのは名ばかりで、街はずれの工場の一つを利用している礼拝所でした。
建物に入っていくと、そこには奇妙なものが。。。

男の人が大の字に横になり、その人型を囲むように沢山のろうそくが並べられて火がユラユラと揺れていたのです

そして、その周りを何人もの人が囲み、祈りを始めました。
ふと前を見ると、白い布が掛けられた祭壇らしき場所には、真っ赤な見たこともないような不思議な文字が沢山書かれていました。
そして沢山のろうそく。。。
なんとも不気味です。

Aさんが小声で囁きました。
「あの男の人は、願掛けをしているのよ」
「キリスト教会で願掛け???」

どう見てもブードゥーの呪術のように見えますが。。。(^^;)

しばらくすると願掛けが終わったらしく、ろうそくが取り払われました。
そして全員がザワザワと並び始めました。
私にも白い帽子が渡され、被るように言われました。
全員ナイジェリア人の中、白い帽子を被りあっけに取られている唯一のアジア人の私。
参加者がヒソヒソと私について話をしているようでした。

子どもや赤ちゃんも沢山いて、皆眠そうにいすに座っています。
私もどうしていいかわからないので、ともかく端っこのいすに腰掛けて見学していました。
牧師が現れると、Aさんが嬉しそうに言いました。

「あれが別れたRの父親なの。ハンサムでしょう♪だから女性にもてて仕方ないのよ。」

私は牧師さんの顔をみました。
・・・・・。

ご本人及び関係者が決してこのブログを見ることがないことを前提とした上で、更にブログをご覧の皆さんから非難を受ける可能性を承知の上で、本当に大変失礼な事を分かった上で言わせて頂ければ私はそれまでの人生の中で、あれほどゴリラにソックリの人をみたことがありません
確かに、ものすごいパワーを感じる人ではありましたが。。。
ハンサムって。。。どんだけ~??
美的基準が全く理解不可能でした(^^;)

礼拝が始まると、祈りの声はさらに激しくなり、泣き叫ぶようになりました。
一人少し遠くから、表情も硬く全身固まって眺める私。
思いっきり浮いていました。。。

1時間ほど経って、礼拝は無事終わりました。
すると、Aさんが来てこういいました。

「牧師が貴方を祝福してくれるって!良かったわね!」

え~~~?祝福~~??いらないよ~怖いよ~帰りたいよ~・・・

無理やり不気味な祭壇前まで引きずられていくと、牧師さんがにこやかに笑いかけてきました。

「貴方はとても素晴らしい心を持っている。」

「あ、ありがとうございます(ひょえ~~~)」

「貴方の後ろに、2人の子どもの顔が見える。貴方は双子を授かるでしょう」

「ふ、双子ですか?(そんなの見えるのぉ~~~?)」

「そうです。では貴方の人生に素晴らしいことが起きますように、祝福をします。
私と一緒に「ハ~レル~ヤ♪」と7回言ってください

え~~~???やだよ~~~~(>_<)

でもとても強力なパワーの前に屈してしまい、セレ独特の節回しでハ~レル~ヤを7回、手の振り付き(!)で言わされてしまいました。(T_T)
すると牧師さんは私の頭に手を置いて、何かぶつぶつ唱えて祝福をしてくれました。
ものすごい熱い手で、ブワ~~~~~ッとエネルギーが来ます。
でもあまりに恐ろしくて早く逃げたい一心だった私には、それが良いエネルギーだったのか、魔性のエネルギーだったのかさえ、判断付きませんでした。

その後、参加者の社交が始まり、さらに1時間ほど待ってから、帰宅となりました。
すでに夜中の2時を回っていました。
Rちゃんは途中から寝ていましたが、Aさんは容赦なく起こして皆に挨拶させていましたっけ。。。

翌朝、寝不足のRちゃんを叩き起こすAさんの声で目が覚めました。
あの調子じゃ、毎朝こうなんだろうなぁ。。。
まともに学校で勉強できるのかしら。。。

よく移民の子ども達の教育が問題になりますが、少なくともRちゃんを始め、あのセレ教会の子どもたちは寝不足で勉強がまともにできているとは思えません。
何せ親が子どもの教育よりも、移民仲間との宗教的繋がりのほうが大事なのですから、当然の結果です。

移民の子であるRちゃんにとって、あのコミュニティーの中から這い出して、自分自身で生きていくのは難しいでしょう。
Rちゃんの将来、決して明るくは見えませんでした。

その日、私は「もっと泊まって行っていいのよ」と言ってくれるAさんに丁寧にお礼を言って、別の所へ移動しました。
正直、あの礼拝にまた出るなんて、あり得ません。。。
いい経験だったとは思いますが、もう一度体験したいとは思いません。
本当に恐ろしかった。。。(-_-;)

なお、残念ながら牧師さんの予言は外れて、双子は授かりませんでしたよ。
これは、私にとってはちょっと残念な事でした(^^;)

 

 

 

 

アフリカの思い出:その1

アフリカの水を飲んだ人は必ずアフリカに帰る。。。と何かの本で読んだことがあります。
しかし!私の場合はアフリカの水を飲む前から、何となくアフリカとの縁が濃くて。。。(^^;)
きっとアフリカの過去世で、思いっきり沢山の水を飲んでいたに違いありません!!!

今世のアフリカとの縁は、まず生まれた時からと言えます。
というのは、今でこそ直毛の私の髪の毛は、生まれたときはクルックルの天然パーマだったのです。
さらに肌もなんとなく小麦色で、親がつけたあだ名が「クロちゃん」。。。

中学・高校の頃は英語が好きだったため、海外にペンフレンドなるものを求めた時期がありました。
ジュニア向けの英字新聞に載っていた「ペンパル募集」に片っ端から手紙を書き送ったのですが、返事が来たのはなんと!ケニアの人だけ。。。。
その後1年くらい手紙や写真のやり取りをしましたっけ。。。
それがきっかけでスワヒリ語入門なんていう本を買って勉強したりもしました。
もっとも今覚えている単語はジャンボ(こんにちは)とアサンテサーナ(どうもありがとう)だけですけど。。。^^;

その後大人になってからは、西アフリカ系の方と知り合うことが多くなりました。
インド旅行中にはなぜかナイジェリア大使館の書記官ファミリーや、ナイジェリア海軍の一番偉い人(すみません、位の名称が分からなくて。。。)のご家族と知り合いになって、毎日ずっとお家に遊びにいってお世話になっていました。(インド旅行なのに。。。笑)

後にナイジェリアに行った時には、空港を降りたとたんにものすごい懐かしさで一杯になりました。
熱帯雨林のあの気候・街の匂い・食べ物・人の気配・・・全てが懐かしくて・・・。

そして、「戦闘的」「犯罪の国」といわれるナイジェリアで、なぜか私は一度もいやな目には会いませんでした。
それどころか、自分では何もしなくても、回りがいろいろお膳立てしてくれて、本当にラッキーな星回りばかり♪

当時陸軍のトップで大統領補佐だったディヤ氏のファミリーとも知り合いになり、お子さんの誕生日パーティーに招待されたりしましたし、ディヤ氏と一緒に写真も撮ったりしましたよ♪
ディヤ氏が持つ田舎のお家に招待されたこともあります。

極貧の国なのに、ディヤ氏のお家はものすごい豪華で、日本でもあんな豪華なお家は見たことありませんでした。
さすが、陸軍のトップ。。。

でもその数年後、ディヤ氏はクーデターを企てたとして投獄され、死刑宣告を受けました。
日本の新聞に載っていたくらいですから、かなり大きな事件だったようです。
運良く数年間の投獄の後、解放されたのですけれど。。。

知人の話によると、ディヤ氏はその随分前から軍を引退したかったそうです。
でも「知りすぎているため、もう逃げられなくなっている」と言っていたとか。
クーデター未遂も、本当は他の人が企てていたのを、彼が罪を被ってしまったのだそうです。

本当のところは私にはわかりませんが、元々クーデターの多い土地柄で、そういう職務についていれば、当然予想できたことだと思います。
そういう人生を選ぶ方もいるんですね。。。
今頃どうなさっているのでしょう。。。

面白いもので、ナイジェリアへの旅をもってナイジェリアに関係する過去世の統合は一応の終わりを見せたらしく、その後はなぜかあまり縁がなくなってしまいました。
そして、それ以降はアフリカの中でも、フランス語圏に国が変わりました。

マリ、セネガル、ジブチ、チャド。。。

過去世統合の旅は、まだまだ続きます。。。。

 

 

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