こんばんは、菊山ひじりです。
この記事は2010年12月15日の記事のリライトです。
過去のブログ記事を見ていましたら、昔の無料相談の記事が、今の皆さまにもお役に立ちそうだな、と思いましたので、改めてアップさせて頂きますね。
昔の文章なので、つたない部分も多いかと思いますが、伝えたい内容にフォーカスしてお読み頂ければ幸いです(^^;)
なお無料相談は、現在は多忙のためお休みしております。
何卒ご了承くださいませ。
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記事「視える・視えないは関係ない」 を読まれた方より、このようなご質問を頂きました。
メールで個人的に返信することはしておりませんので、無料相談としてお答え致しますね。
<ご質問>
あまりに漠然としていて、幸せとはどういうことなのかわかりません。
だから、幸せになりたいという感情も、なぜ持たなくてはいけないのか、わかりません。
今の私は、充分に恵まれていると思っています。
だから、幸せは求めてはいけないと思っています。
でも、実践倫理宏正会では、「人は皆、幸せになる為の、生きる力(倫理力)がセットされている。」とお習い致します。
だから、幸せになりたいと思わない私は、人ではないのだと感じました。
やはり、人間以下なのでしょうか
(Mさん)
<お答え>
ご質問ありがとうございました♪
>あまりに漠然としていて、幸せとはどういうことなのかわかりません。
幸せとは、心の状態です。
幸せだなぁ、と感じられたら、それが幸せなのです。
そこに「これ」という定義を当てはめることは難しいと思います。
例えば、周りから見てどんなに不幸に見えても、本人は苦労に生きがいを感じて幸せな場合もあります。
反対に、どんなに恵まれていても、心が閉じていて幸せを感じられない人もいます。
>だから、幸せになりたいという感情も、なぜ持たなくてはいけないのか、わかりません。
別に持ちたくなければ、持たなくてもいいのではないでしょうか?(^^)
なぜ、「持たなくてはならない」と思っていらっしゃるのでしょうか?
その辺りの思い込みを一旦外した方がいいのかな?と思います。
人にはそれぞれの個性があり、好きな生き方を選んでいいのです。
極端な話、不幸を選んだって、本人がそれがいいのなら、全然構わないんですよ。
不幸や苦しみが実は好きな人って、本当に沢山います(笑)
本人は無意識かもしれませんが・・・。
そしてそれはそれで、別にいいのです!
「~ねばならない」という言葉の言い回しは、気持ちやメッセージを伝える為の表現方法としてはよく使われますよね。
例えば、
「生きなきゃダメよ!」
とか、
「幸せを選びなさいよ」
とか・・・。
でも、これはあくまで自分の応援の想い・メッセージを相手にインパクトを持って伝えるための「言葉使い」に過ぎません。
宇宙の絶対的な法則でもなんでもありません。
だから、言葉づかいに惑わされないことです。
言葉の奥にある『本質』を掴みましょう。
人間は、好きに生きていいのです。
それがどんな形だったとしても、です。
>今の私は、充分に恵まれていると思っています。
だったらそれでいいではないですか?(^^)
素晴らしいことですし、そこになんの問題もありません。
>だから、幸せは求めてはいけないと思っています。
???ごめんなさい、その理論の飛躍が私にはよくわかりませ(^^;)
今恵まれているから幸せを求めてはいけない、というのは、全く理論的に成り立ちません。
これは、一見幸せな状態がそろっているのに、実際には幸せを感じられない自分を正当化するための言い訳ですね。
でも、そもそも言い訳する必要ないんです。
なぜなら、別に幸せを求めなくてもいいんですから。
幸せだ、と実感する必要もないのですから。
ありのままに生きればいいではないですか♪
例え「幸せだ」と思えなくても、その今の状態をよしとして、淡々と生きるのも、一つの人生ですよ。
>でも、実践倫理宏正会では、「人は皆、幸せになる為の、生きる力(倫理力)がセットされている。」とお習い致します。
それはその団体の世界観にしか過ぎません。
言っている事の意味は分かります。
でもそれに従わなければならないわけではありません。
宇宙はもっと大きいですよ。
人間的な価値観だけでは通用しません。
幸せになるための生きる力があろうとなかろうと、それさえ関係ない。
宇宙はそのくらい大きいのです。
>だから、幸せになりたいと思わない私は、人ではないのだと感じました。
自分が「これだ!」と納得し信じられない思想に、こだわる必要は全くないのでは?
ピンとこないその団体に、何で入っているのでしょうか?
自分を追いつめて辛くするような団体はやめて、もっと自分に合った生き方をしてはどうでしょうか?
もっと自由に、まずは自分を愛することから始めてみてはどうでしょうか?
>やはり、人間以下なのでしょうか
MさんはMさんでいいのです。
人間かどうか、それさえ、単なる定義に過ぎませんから。
MさんはMさんらしくいればいいのです。
倫理思想団体のいう「人間らしく」という定義に自分を当てはめる必要はないのです。
魂は、そういう限界を超えた存在なのです。
Mさんが私のブログに書き込みされたということは、幸せを感じたいと本当は思っていらっしゃるのでは?
そして、何とか今の感覚から抜け出す道を探したいと思っていらっしゃるのでは?
もしそうなのでしたら、まずは自分自身の本当の感覚と対話してみてください。
ネガティブな自分も何もかも、全てひっくるめて自分と向き合ってください。
そしてそんなありのままの自分をただ受け入れて下さい。
その為には、まずは体にフォーカスすることをお勧めします。
自分の体を感じられない人は、頭だけでグルグル考え始めて、心身のバランスを取れません。
まずは、体ですよ。
肉体を持って生まれているのですから。
ヨガ教室やピラティスなど、体と対話しつつ鍛えていくメソッドは沢山あります。
もしご近所にあるようでしたら行かれてはどうでしょうか?
それが肉体感覚をしっかり持つための近道ではないかと思います。
そして体が整ったら、瞑想でご自分を見つめるのも一つの良い方法です。
ただし瞑想だけだと、現実逃避に繋がり易いので、体へのフォーカスがまず最初です。
この順番を絶対に間違えないようにしてください。
自分が幸せになれない人は、他人を幸せにすることは絶対できません。
まずは自分が自分なりの幸せを感じるようになることです。
すると、他人に優しくなれます。
これも、順番間違えないようにしてくださいね。
Mさんが自分らしい幸せを実感できますように、お祈りしております。