ネガティブな出来事の意味

ネガティブな出来事の意味~その1~

こんにちは、菊山ひじりです。

ブログ記事「関係を手放すことで得られるもの」 とそのシリーズ「手放して生きる」については、沢山の方からコメントや感想、メッセージを頂いております。

ありがとうございます(^^)

この記事は2010年9月15日の記事をリライトしたものです)

同じような経験をされたという方も多かったですし、違う体験にその考え方を当てはめて腑に落ちたという方もいらっしゃいました。

少しでも参考になったのでしたら、本当に嬉しいです(^^)。

その中で、このように質問された方がいらっしゃいました。

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でも、菊山さんのようなグローバルな高い志を持ってして、
アフリカの女性や子供に知識啓蒙活動をされると言うこの上ない人道的貢献をしたはずの人に、
運命とやらは、何を学ばせたかったのですか?
その活動の徳だけじゃ、幸せな後生は送れないのでしょうか?

試練とは理不尽な気がします。

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ご質問ありがとうございました(^^)
今日はこれについてお返事がてら、ネガティブな出来事の意味について考えてみたいと思います。

まず最初に書きますと、私には別に徳はありません(^^;)

アフリカの人道支援についても、ただ自分がやりたくて、好きでやっていた活動ですので・・・。
その点、どうぞあまり美化&誤解なさいませんように・・・。

私の事情を差引いてご質問を単純化すると、こういう意味になるのかな?と思います。

「この学びの意味は何なのだろう」

「今まで一生懸命やってきたのに、どうしてこういう目に合うのだろう」

これらは、恐らく多くの方が、ご自分の試練の体験に関して感じる疑問だと思います。

そしてそこをどう受け取っていくかはとても大切なことだと思いますので、3回に分けて書いてみたいと思います。

まず、1回目となる今日は「学びの意味」について考えてみたいと思います。

私もリーディングセッションで、よく「学びですねー☆」と申し上げることがあります。
また、クライアントさんからは、「この出来事の意味は何ですか?」とよく聞かれます。

では、学びって何でしょうか?

何か絶対的なものなのでしょうか?

こういう事件にはこういう学び、こういう意味、ということが決まっているのでしょうか?

 

実は、起きる出来事にはそれ自体の意味はありません。
人間関係の中で一見ネガティブな事件が起きるとき、そこにあるのは、ただ事件があったという事実だけです。

そこには、良いも悪いもありません
ある人間と人間が、互いの事情・感情によって、すれ違ったり、ぶつかったり、何かの現象が起きるわけです。

そこに、どう意味をつけ、または意味を読み取っていくかは、その人次第です。

また意味は多重的にあります。
「絶対的な一つの意味」「絶対的な善悪」というものは、存在しないんですね。

 

学びで一番大切なのは、その出来事からどういう意味を読み取れるのか(=どういう意味をつけるのか)ということです。

でも、渦中にいるときは、なかなかポジティブな意味を読み取ることは難しいですよね。
また、そもそも人間の思考には限界がありますから、自分では無理ということもあるでしょう。

ですから、誰かに相談したりして、自分の視野より広い観点からアドバイスを受けることは有意義だと思います。

そしてその為に、いわゆるリーディングや、前世療法(ヒプノセラピー)などがあるのだと思います。
自分のエゴの視点とは違ったところから眺めることで、自分には分からなかった、新しい意味を見つけるきっかけになると思います。

では、その学び・意味にはどんなものがあるのでしょう。

例えば、現世的な観点から考えると、何が直接の原因だったか、という学びができます。

性格の不一致。
利害の不一致。
周囲の人間や、状況とのめぐり合わせ。
コミュニケーションの問題。
将来へのビジョンの相違。
エゴを満たそうとする無意識の欲求、など・・・。

 

前世やカルマ清算的にみると、現世とは違う原因が出てきます。

前世で相手に害を与えたから仕返しを受けた。
前世で決着がつかなかったので現世も戦っている。
誰かに害を与えたのが巡り巡って清算している、など・・・。

 

心理的な部分からみると、心の成長という学びが出てきます。

処世術を学ぶきっかけとなった。
現実の厳しさを知ることができた。
人間の心理を学ぶことができた。
心が強くなった。
自分の至らない点が分かってきた。
どうすればいいか分かってきた、など・・・。

 

の観点からみると、今度はこういう意味がつくかもしれません。

魂を強くするための試練だった。
未来に予定されている出来事に備えるためだった。
行くべき道が違うので、事件を通して無理やり離れるようにした。
次の出会いへの準備だった。
今世乗り越えるべきテーマだった。
本来の道が別に用意されている、など・・・。

 

今ざっと思いついた例を挙げてみましたが、実際には、その出来事の種類によって、また個人のカルマによって、もっと違った意味が考えられると思います。

つまり、一つの出来事には「この学びのためだった」とうい限定した意味だけでなく、それ以外にももっと沢山意味があるのです。
様々なレベルの世界が何重にも折り重なって、沢山の世界・沢山の可能性が繋がっているのです。

そして、その意味をどれだけ読み取れるか、どれだけ良い意味を見つけられるかが、その先の人生を実り多いものにできるかどうかの分かれ目と言えると思います。

そう考えてみるとネガティブな出来事というのは、実は自分がステップアップするための、物凄いチャンスにもなるのです!

 

ですので、もし今あなたが何か問題の渦中にあるのなら、ぜひ、起きたことにどんな意味が見つかるか、上記に照らし合わせて考えてみてくださいね。

そして、そこに隠された良い意味を沢山見つけてください。
それは、必ず素晴らしい実りを得ることにつながっていきますよ♪

 

次回は、なぜ頑張っているのに不運なことがあるのか、そのあたりについてもう少し詳しく考えてみたいと思います。

 

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