カルマの法則

カルマの法則 その2~集団レベルのカルマ~

こんにちは、菊山ひじりです。

前回に引き続きカルマの法則について書いてみたいと思います。

今回は~その2~、集団レベルのカルマについて、考えてみます。

 

(4)家族・家系レベルのカルマ

カルマには、個人的なものだけではなく、集団レベルのカルマがあります。
その中で、一番身近なものは、自分が生まれてきた家族が家系的に背負っているカルマです。
例えば、

・女系家族で、男が続かない(亡くなったり、男の子が生まれない、など)
・本家の長男(次男、三男、など)が非常に高い確率で亡くなってしまう
・家を建て直すと、その時の家長が亡くなってしまう

などなど・・・。

これ以外にも、色々な種類を皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。
特に土地を所有している地方などでは、その傾向が色濃く出る、というのが、私の印象です。
これらは、家族・家系のカルマです。

 

家系的に続くカルマは、理由がはっきりしないことが多いです。
昔は今のように記録を残すと言っても手段があまりなかったので、人々の記憶からなくなってしまっているせいかと思います。
考えられる可能性としては、敵対していたよその家からの呪いや、先祖が殺人などをした償いなどが挙げられます。

「〇〇家にはひどい事をされた」

というように、心の底で恨み続けたりすると、その念が呪いとしてかかってしまうのです。
昔の人は、今よりも気を散らす娯楽がなかったですし、現代よりも宗教的な色合いが濃い生活をしていましたので、思いこんだ時のパワーは凄かったと思います。

 

では、なぜ大昔の呪いが今も続いているかというと、そういう呪いの対象としてピッタリの個人カルマを持った人が、その家をカルマの清算場所として選んで生まれてくるからです。
家のカルマは、個人カルマ、また、個人の人生の学びと、とても深く関連しているのです。

 

ただ、今のように時代が魂の解放に向かってくると、個人レベルのカルマを、日常の学びの中でクリアしてく方もいらっしゃいます。
意識の変化というのは、本当に凄いパワーを持つものなのです。
ですから、家のカルマの関しては、抜けつつある方も多い・・・というのが、私の経験上の印象です。
家という枠にとらわれない方は、家のカルマからは抜けやすいと思います。

 

でも、カルマとして刷り込まれたエネルギー的な傾向というのは、外すのは簡単ではありません。
家族への情や、土地への執着が強いと、頭では「迷信だ」などと思いつつ、巻き込まれてしまう事が多いと思います。
ですから、家と自分の関係を見直し、例え「家族を捨てた」などと言われようとも、自分の人生を主体的に選び歩いていく、ということが、とても大切なのです。

 

(5)国家のカルマ

集団のカルマには、他にも様々な種類があります。
例えば学校、クラブ、会社など様々な集団には、その集団なりのカルマが形成されてきます。
その中で一番大きく、一番影響がでるのが、国家のカルマでしょう。

 

国家のカルマは、残念ながら抜け出ることは非常に困難です。
ある国に生まれるということは、その国の言語で育つので、物事の理解度やコミュニケーションの方法がその国のものをスタンダードとして育ちます。
すると言語体系の影響を強く受ける思考体系(考え方)も、その言語の枠内で収まってしまうということになります。

 

分かりやすい例を言うと、例えば日本語と英語は、文法も発音も全く違います。
思考体系や文化背景も、全く違いますよね。
ということは、日本語を母国語として生まれ育つ場合と、英語を母国語として生まれ育つのでは、全く違ってくるということなのです。
つまり、生まれた国によって、その人の性格や考え方、振る舞いなども全て変わってきてしまうのです。

 

また、その国に生まれてしまったら、その国の状況から逃げることは困難です。
場合によっては、他国に移住したり、国籍を変えることはできます。
でも、ユダヤや華僑の方々を想像して頂くと、違う国籍に変わって違う場所に住んでいても、元々の文化の影響から抜け出ていないのが理解できるのではないでしょうか。

 

そういう意味では、日系移民の方は、比較的日本のカルマからは離れることが多いようです。
現地になじみ、溶け込んで一部となる方が多いと思います。
日本文化にこだわる意識が、低いのかもしれません。
それは、日本文化を守るという意味では良くないかもしれませんが、意識の進化という観点からは、素晴らしいことだと思います。

 

私は、現代の日本に生まれるということは、それだけでネガティブな国家カルマが少ない、ラッキーなことだと思っています。
日本のカルマの軽さは、経済発展による日常生活レベルの高さからもうかがえます。
例えば、日本では読み書きが出来たり、医者に行ったり、というのは当たり前です。
基本的人権も、確保されています。自由もあります。
社会保障も、世界全体のレベルからみれば、かなり高いです。
(ヨーロッパなどの社会保障の高い国々は、全世界レベルからみると、ほんの一握りの例外です)

 

途上国に生まれていたら、読み書きができるのは、ほんの一握りのラッキーな人だけです。
無医村も沢山あり、5歳までの死亡率が20%以上という国もあります。
女性が自分らしく生きる、という選択肢も、途上国では非常に少ないです。
生まれる場所によって、人生はある程度決まってしまうのです。
(例外的な人もいますが、それはまた別の話になります)

 

次回は、国家のカルマの中で一番重い「戦争」とカルマの関係、そしてカルマの本当の意味について考えたいと思います。

 

<関連記事>

カルマの法則 その1 ~個人レベルのカルマ~
カルマの法則 その2 ~集団レベルのカルマ~
カルマの法則 その3 ~戦争のカルマ~
カルマの法則 その4 ~カルマを超えるには~
カルマの法則 その5 ~カルマを引き受ける~

ネガティブな出来事の意味~その1~
ネガティブな出来事の意味~その2~
ネガティブな出来事の意味~その3~

 

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  1. 先週、とある国へ研修で行ってきました。
    国民皆平等
    国民皆中流会級
    などという意識は共産圏にもかかわらず国家レベルからなく、富める者はより富み、貧しき者はより貧しく、という現状を目の当たりにしました。
    どちらの立場であれ、そのような国に生まれるのもまた持って生まれたカルマには違いないですね。
    ホント、いろいろ考えさせられました。