アフリカ思い出話

アフリカの思い出:その1

アフリカの水を飲んだ人は必ずアフリカに帰る。。。と何かの本で読んだことがあります。

しかし!私の場合はアフリカの水を飲む前から、何となくアフリカとの縁が濃くて。。。(^^;)

きっとアフリカの過去世で、思いっきり沢山の水を飲んでいたに違いありません!!!

今世のアフリカとの縁は、まず生まれた時からと言えます。

というのは、今でこそ直毛の私の髪の毛は、生まれたときはクルックルの天然パーマだったのです。
さらに肌もなんとなく小麦色で、親がつけたあだ名が「クロちゃん」。。。

中学・高校の頃は英語が好きだったため、海外にペンフレンドなるものを求めた時期がありました。

ジュニア向けの英字新聞に載っていた「ペンパル募集」に片っ端から手紙を書き送ったのですが、返事が来たのはなんと!ケニアの人だけ。。。。
その後1年くらい手紙や写真のやり取りをしましたっけ。。。

それがきっかけでスワヒリ語入門なんていう本を買って勉強したりもしました。
もっとも今覚えている単語はジャンボ(こんにちは)とアサンテサーナ(どうもありがとう)だけですけど。。。^^;

その後大人になってからは、西アフリカ系の方と知り合うことが多くなりました。

インド旅行中にはなぜかナイジェリア大使館の書記官ファミリーや、ナイジェリア海軍の一番偉い人(すみません、位の名称が分からなくて。。。)のご家族と知り合いになって、毎日ずっとお家に遊びにいってお世話になっていました。(インド旅行なのに。。。笑)

後にナイジェリアに行った時には、空港を降りたとたんにものすごい懐かしさで一杯になりました。
熱帯雨林のあの気候・街の匂い・食べ物・人の気配・・・全てが懐かしくて・・・。

そして、「戦闘的」「犯罪の国」といわれるナイジェリアで、なぜか私は一度もいやな目には会いませんでした。
それどころか、自分では何もしなくても、回りがいろいろお膳立てしてくれて、本当にラッキーな星回りばかり♪

当時陸軍のトップで大統領補佐だったディヤ氏のファミリーとも知り合いになり、お子さんの誕生日パーティーに招待されたりしましたし、ディヤ氏と一緒に写真も撮ったりしましたよ♪
ディヤ氏が持つ田舎のお家に招待されたこともあります。

極貧の国なのに、ディヤ氏のお家はものすごい豪華で、日本でもあんな豪華なお家は見たことありませんでした。
さすが、陸軍のトップ。。。

でもその数年後、ディヤ氏はクーデターを企てたとして投獄され、死刑宣告を受けました。
日本の新聞に載っていたくらいですから、かなり大きな事件だったようです。
運良く数年間の投獄の後、解放されたのですけれど。。。

知人の話によると、ディヤ氏はその随分前から軍を引退したかったそうです。
でも「知りすぎているため、もう逃げられなくなっている」と言っていたとか。
クーデター未遂も、本当は他の人が企てていたのを、彼が罪を被ってしまったのだそうです。

本当のところは私にはわかりませんが、元々クーデターの多い土地柄で、そういう職務についていれば、当然予想できたことだと思います。
そういう人生を選ぶ方もいるんですね。。。
今頃どうなさっているのでしょう。。。

面白いもので、ナイジェリアへの旅をもってナイジェリアに関係する過去世の統合は一応の終わりを見せたらしく、その後はなぜかあまり縁がなくなってしまいました。
そして、それ以降はアフリカの中でも、フランス語圏に国が変わりました。

マリ、セネガル、ジブチ、チャド。。。

過去世統合の旅は、まだまだ続きます。。。。

 

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