カルマの法則

カルマの法則 その5~カルマを引き受ける~

こんにちは、菊山ひじりです。

今回は、カルマの法則の最終回。
他者のカルマを引き受ける、身代わりになる、ということについて考えてみます。

 

(10)他者のカルマを引き受ける、身代わりになる

お子さんが病気になった時などに、その苦しむ姿をみて、「私が身代わりになってもいいから、助かって欲しい」と思う親御さんが多いと思います。
実際に、子供を心配するあまり、子どもの症状が移ってしまう方もいらっしゃいます。
その病気がカルマと言うほど重くないときは、それが良く起こります。
それは、エネルギー的にシンクロするために起きるものです。

 

命にかかわる非常に重いカルマの場合はどうでしょうか?
実際には、親が身代わりになって助かる例もあれば、どんなに親が願っても、願いが叶わない場合もあります。
どうしてこのような違いがでるのでしょうか?

 

それは、身代わりになりたい、と思う側に、今世自分で解消しなくてはならないカルマが残っているかどうかにかかっています。

 

例えば、すでにほとんどのカルマを解消して(超えて)いる場合、他者のカルマを引き受けることができます。
それは、家族だけでなく、自分が望む人のものは、大体誰でも引き受けられるようです。
魂には、今世の家族は関係ないからです。

 

但し、自分に今世まだ沢山カルマが残っていると、人のものを身代わりすることはできません。
まずは自分のカルマから・・・ということになります。
それが、違いを生んできます。

 

(11)無償の愛による奇跡

なお、カルマの身代わりを引き受けるということは、非常に大きな無償の愛です。
その気持ちがある場合に、奇跡が起きることがあります。

 

例えば、瀕死のお病気の方が、家族や周囲の人々の献身的なサポートで治ったりする陰には、このような無償の愛があります。
必ずしも身代わりになってもらっているわけではなくても、そういう奇跡も起こります。
全ては愛の業なのです。
愛があれば、奇跡は起こるのです。

 

この辺りになると、もう本当に神の領域で、法則を超えていますので、全く予測は不可能です。
ただ、全てを天に委ね、自分の中にある愛を分かち合っていくだけです。

まずは、自分の心の中に、愛を感じてみましょう。
そして一歩踏み出して、他者と愛を元に交流していきましょう。
例えカルマを超えることができなくても、魂の観点から見れば、その愛の交流は何物にも代えがたい素晴らしい体験なのです。
その愛の交流自体が、奇跡なのだと思います。

 

(12)まとめ~カルマを超えて幸せになるために~

5回にわたってカルマの法則について書いてきましたが、カルマはとても奥が深く、私の足りない言葉で全てを表現することは不可能です。
また、書き漏れていることも沢山あると思いますし、表現が分かりづらい部分もあるかと思います。
ただ、日常レベルで皆さんがふと疑問に思った時に、少しでも解決のヒントになれば嬉しいです。

 

もし、「これはどうなの?」というような質問がありましたら、ぜひお送りください。
ブログ記事として、改めてお答えしていきたいと思います。

 

何度も繰り返しますが、カルマを全部超えられるかどうかは分かりません。
超えられることもあるだろうし、どうしても無理なこともあるでしょう。
それは神の領域であり、人間のコントロールの範疇を超えています。

でも、カルマは、恐れるべきものではありません。
現世的な感覚からいえば、ありがたくないカルマはあります。
でも、それを恐れていては、何も解決しません。

 

全ては自分の心、自分の意識から始まります。
どんな事が起きようと、それにポジティブな意味を見出し、前向きに人生を楽しんでいくことはできます。
意味をつけるのは、自分です。

 

今ここにいる自分を受け入れ、手にしている幸せを見出し、愛を育てていきましょう。
本当の愛、本当の喜びを知ったとき、幸せになるためには、どんな状況も関係ないことに気づくことでしょう。

幸せかどうかには、実はカルマなんて関係ないのですから。

全ての皆さまが、愛の中に素晴らしい人生を送られますように・・・♪

 

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